負のエネルギー

昨日、とある映画を観ました。

「負のエネルギー」について考えさせられました。

「負のエネルギー」とは、簡単に言えば、自分や他人を傷つける行為を引き起こすエネルギーです。

 

よく、善悪とは相対的なものだという言葉を見かけます。

それはそうなのだろうと思います。

しかし、この世には、異論反論あるでしょうが、「絶対的な悪」というのは、あると私は思います。

そして、これまた申し上げにくいのですが、「絶対的な悪」に走ることが、凡人にはあるということも、また事実だと思います。そこに「負のエネルギー」が介在することが多々あることは、想像にかたくありません。

「人は、時に、負のエネルギーに駆られ、絶対的な悪たる罪を犯すものである」。私の知る限り、イエス法然親鸞といった人物は、そうした人間に対する鋭い着眼をもっていると考えています。新約聖書で、姦淫の罪を犯した女性を、イエスが赦し、死刑の執行をやめさせる描写や、親鸞の「悪人正機」という考えに、私は大変心惹かれます。

 

そうした「絶対的な悪」に、人生を踏みにじられた登場人物が、「負のエネルギー」に駆り立てられて、自分以外の人を、とても悲惨な不幸に巻き込んでいくというのが、昨日観た映画の、ざっくりしたあらすじです。ちなみに、その、自分以外の人を不幸に巻き込んでいった登場人物は、最後に、自ら命を絶ちました。また、それ以外にも「人を好きになるとはどういうことか」というのも、この映画の主題のひとつだったと感じました。

 

エネルギーに話を戻しますと、「負のエネルギー」があるのならば、「正のエネルギー」や「絶対的な善」もあるのではという考えも、脳裏をよぎります。私は、これらも、あると思います。

それらに加え、「正負、どちらともつかないエネルギー」、「絶対的な善でも悪でもないもの」もあると思います。

 

結局のところ、私たちは、時には、白くなったり、黒くなったり、まあ、大半の時間は白でも黒でもない状態で、はいつくばって、日々、送っているのだろうなと、考えさせられました。