Virtual Insanity ~バーチャル・インサニティー~

生活、時事問題、趣味のことなど幅広く、日々思うことを綴っていきたいと思います。

自殺をモチーフとしたロック・ポップ作品4曲

本日は、少々、過激なタイトルのもと、気になる楽曲を紹介したいと思います。

 

そもそも、この記事を書く発端となったのは、平井堅の新曲『ノンフィクション』です。お聞きになられましたか? 「あなたに、あなたに、ただ、会ーいたーいだけー」と歌っている、あの曲です。

 

私は、この曲をFMラジオの番組で知りました。当初の感想は「また、平井堅が生ぬるいラブソングを書いたのか、相変わらずだな!」という否定的なものでした。ローリング・ストーンズやクイーンのようなハチャメチャなロック・スターたちに心惹かれる自分としては、平井堅のような当たり障りのないキャッチーなメロディーメイカーは、完全に守備範囲の外なのです。

ところが、ふとしたきっかけで、この『ノンフィクション』という作品が、自殺した彼の友人に捧げた曲であるという情報を得ました。そこで、改めてこの曲を聞き直すと、「うむ」と唸ってしまいました。名曲だと思い、約1年ぶりにiTunes Storeでお金を払って買いました。それから散々リピートしています。今日も聞きました。

自殺という深刻な事態に追い込まれてしまった(とされる)人に対して、とても温かな、真摯な思いを感じました。すっかり私の平井堅に対するイメージが刷新されてしまいました。今後、彼の活動に注目していきたいと思います。

 

 

人生は、本当に不思議なものでして、『ノンフィクション』を知って、間もなく、またもや、自殺をモチーフとした、佳曲に巡り合いました。あいみょんという女性シンガーソングライターの『生きていたんだよな』です。

この曲にたどり着くまでのプロセスは、最近、ヒットした、彼女の『愛を伝えたいだとか』が始まりです。FMのランキング番組でチャートインした、この曲が何となく気になっていました。ただ、ランキング番組なのでフルコーラス流しません。ということもあってか、記憶の奥底に埋もれつつあったのですが、つい先週、たまたまラジオでフルコーラス聞きました。とても気に入り、この、あいみょんのことを調べました。そこで、『生きていたんだよな』という作品にぶち当たり、ぶちのめされました。

f:id:VirtualInsanity:20170625212518j:plain ←『生きていたんだよな』のアートワーク

 

『生きていたんだよな』は、ざっくり説明すると、飛び降り自殺した少女の映像をきっかけに、亡くなったその少女の最期に思いを馳せるという作品です。その生々しい心情を追いかけるさまに、初めて聞いた時、感極まってしまいました。

音楽的な面白さ・見事さもあります。歌はラップで始まります。そこから絶妙なつながり方で、歌詞がメロディーに乗ります。聞きどころです。

 この、あいみょんは、只者ではないと思います。

 

 

というわけでして、以上、なぜか最近、自殺をモチーフにした楽曲に、続けざまに心を惹かれてしまうという不思議なことが起きたことを語ってみました。

 

 

 

あと、この機会に、ますますヘビーで恐縮なのですが、前々から知っていた、自殺をモチーフにした、すぐれた曲を2曲、ご紹介したいと思います。

 

 

槇原敬之『Hey...』

 この曲で描かれたことが、実話か否か知る由もありません。ですが、かなり克明な心理描写がなされている傑作です。自殺した友人が、そうなる前に出していたサインに気付かなかったことを悔やんだり、葬儀での様子、今、天国にいるであろう友人のことを思ったりという、心こまやかで、やはり、聞いていて胸が詰まるような、そうでありながら人のやさしさ・脆さを描いた美しい作品です。

 

 

David Bowie "Rock 'N' Roll Suicide"

私が、人生の谷底(今後もあるかもしれませんが)に落ち込んでいた時に、よく聞いた曲です。いや、この曲が入っているアルバム全体をよく聞いていました。

この作品の入っているアルバム『ジギー・スターダスト』は、まさに不朽の名作だと思います。ロックの「アルバム」という単位で、ナンバーワンを挙げろと尋ねられたら、このアルバムだと即答します。すなわち、私の『無人島レコード』は、これです。社会のはみ出し者を愛おしく包んでくれる作品です。歌詞の意味がわからなくても、そういう気持ちがびしびし伝わってくる、デヴィッド・ボウイの大きさを感じさせる、ロックの、いや、アートの金字塔です。

"Rock 'N' Roll Suicide"に話を戻します。

歌詞はもちろん英語なので、ほとんど何を歌っているのかわかりません。ですが、落ち込んだ自分にそっと寄り添い、「それでいいんだ、何とかなるさ」と囁いてくれる、そんな作品です。ああ、あなたにも聞いてほしい!

 

本日の記事は、大変重いものになってしまいまして、心苦しいところがあります。ただ、「ああ、こんな世界もあるのだな」と、何か少しでも、みなさんに響くものがあれば、うれしく思います。

 

K校長先生の思い出

校長先生というと、どんな人物を思い浮かべますか?

 

まあ、多くの方にとっては、学校の集まりやイベントで、紋切り型の、無難なお話をする人といったところではないでしょうか。あまりにも話が退屈で、聞いている生徒がおしゃべりをして、校長先生の話の後に、別の先生が注意するなどという光景が、お決まりのように繰り返されたものです。

 

そんな、校長先生ですが、中学校の生徒だった頃の私に、強烈な印象を残していっていかれたお方がおられました。いい意味でです。以下、ひとつのエピソードを披露したいと思います。

 

 

 コパカバーナ』騒動

 

コパカバーナ』というのは、リオデジャネイロの海岸の一地域を指す地名ですが、ここでは、そこでの情景を歌った歌の、ブラスバンド版アレンジ曲のことを意味します。

当時、私が通っていた中学校では「全校集会」というものがありました。文字通り、3つの学年の生徒が体育館に集合し、先生のありがたいお話を拝聴したり、とある部活の壮行会や活動成果の発表を行ったりということをしたと記憶しています。

ある日の、そうした集会のプログラムにブラスバンド部による演奏が組み込まれていました。体育館前方の、生徒たちが座っている床と同じ床にパイプ椅子を並べます。その椅子に吹奏楽部員が楽器を構えて座ります。そこで演奏されたのが、『コパカバーナ』でした。ノリのいい、楽しい曲です。演奏が終わり、生徒が拍手します。まあ、いたって平凡な、「ブラスバンド部の活動発表の場」であったわけです。

さて、全校集会のプログラムが平穏に進行し、最後にK校長が登壇します。そこで、K先生が「この集会で、残念だったことがあります」と、おっしゃいました。正直、かなり唐突な感がありました。今思うと、その瞬間、職員には、狼狽した人もおられたかもしれません。

いったい、何が「残念」だったのか????

K先生は続けます。「ブラスバンドのみんなが演奏してくれた時、どうしてみんな踊ってくれなかったのだろうかということが残念でした。ブラスバンドのみんな、もう一度、演奏してくれませんか」

今でこそ、中学校の体育の授業で、ダンスが課題として取り上げられ、踊るということが普及しつつあります。しかし、踊ることに敷居の高かった25年以上前のこの発言は、どう考えても、かなり「突き抜けた」かつ「ファンキーな」発言だと、評価せざるを得ません。踊る? いったい、どうなるのか????

 

ブラスバンド部員たちが再び、楽器を携え、パイプ椅子に着席します。そして、音楽が鳴り響くと…。

一部の生徒や教師たちが、なんと体育館のステージに向かい、上ります。そして、体を動かしたり、叫んだりし始めたのでした…。何人かの若い男性の教師はステップを踏んでいました。生のステップというものを見た私の最初のシーンでした。私はといえば、ステージの下で、手拍子を打ちながらも呆気にとられていました。音楽のもつ爆発力に、飲み込まれていました。

コパカバーナ』が締めくくりを迎えます。ある男子生徒は、こぶしを挙げて、「おれが山田だ! おれが山田だ!」と連呼しています(仮名です)。

白けたベルトコンベヤーのような全校集会が、一転してローリング・ストーンズと、いい勝負の、熱狂ライブの場に変貌したのでした…。

アンコールの後に再び登壇したK先生がニンマリとした表情を見せたのは、言うまでもありません。

 

後日、生徒会担当だった、先生から、ぼそっと言われたのですが、その先生は、アンコールされた『コパカバーナ』の時に、あまりにも多くの生徒たちが上ったので、体育館のステージの床が抜けて、事故になるのではと肝を冷やしておられたそうです。

 

 

この校長先生は、実は、他にも生徒の心をつかむ、愉快なエピソードを残しておられます。

私が生徒だった頃に、職員たちが、その校長先生のもとだと仕事をしやすいと言っているという、うわさが流れていました。今、思うと、組織のトップが、組織の雰囲気を決めるということを私は、この校長先生を通して学習したのだと思います。


ちなみに当時の私の母校は、非行が少ないことで評判だったということを、卒業後に知りました。