Virtual Insanity ~バーチャル・インサニティー~

生活、時事問題、趣味のことなど幅広く、日々思うことを綴っていきたいと思います。

パラリンピックを、どう受け止めるか

9月7日からリオデジャネイロパラリンピックが開催されます。

 

オリンピックがかなり盛り上がったので、

今までにない盛り上がりを期待できるでしょう。

 

ただ、心配性の私は次のようなことを気にしています。

 

1)障害者自身が、報道されるアスリートと自分を比較し、落ち込むこと。

 

2)障害者の周りの人が、報道されるアスリートと、身近な障害者を

比較し「お前も、がんばれ!」と無理やり励ますこと。

 

 

1)障害者自身が、報道されるアスリートと自分を比較し、落ち込むこと。

 

  実際の障害者は「障害者」という言葉でひとくくりに

  できるような均質な存在ではありません。

  まさに多様です。

  リッチな障害者もいれば、貧しい障害者もいます。

  伴侶のいる障害者もいれば、いない障害者もいます。

  職のある障害者もいれば、ない障害者もいます。

  といったことを無限に挙げることができます。

  それにもかかわらず、やはり自分と「似たような」障害をもつ

  人物が地球の裏側で活躍している様子が電波に乗って届くと、

  いろいろな考えが浮かぶのではないでしょうか。

  障害者だって多様です。

  報道されるアスリートは、そうした多様なあり方のひとつに過ぎません。

  多様である障害者のあり方が「かくあるべし」と示される道理はありません。

 

2)障害者の周りの人が、報道されるアスリートと、身近な障害者を

比較し「お前も、がんばれ!」と無理やり励ますこと。

 

  1)で述べた通り、障害者のあり方は多様性そのものです。

  誰もが自分のやり方で「すでに」がんばっています。

  テレビ画面に映し出された人物は、自分のやり方でがんばった、

  とある障害者が運よく映し出されただけです。

  周りの人は、テレビの中の人物と目の前の人物のがんばりを

  比べるのではなく、それぞれを認めることが大事だと思います。