読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Virtual Insanity ~バーチャル・インサニティー~

生活、時事問題、趣味のことなど幅広く、日々思うことを綴っていきたいと思います。多分、中道左派です。

当事者であることの重さと、そうでないことの軽さ

生活

『ジャム・ザ・ワールド』というFMの情報番組を

よく聞いています。

 

その番組のナビゲーター(進行役)の一人、

ジャーナリストの津田大介さんが、思想家の東浩紀さんと

お話しされる時に、時々「当事者でないと発言できない

雰囲気というのは息苦しい」という趣旨のことを述べておられます。

 

具体的には、東京育ちの東京人である東さんが、

沖縄を訪れ、基地問題を語る時に、重圧を感じたとのことでした。

 

なるほどと思いました。

 

当事者であることの重さと、そうでないことの軽さの問題があると思いました。

 

当事者、例えば、沖縄の人が沖縄の基地問題を語る時には、

東京の人が語る時よりも、重みをもって受け止められることが

多いでしょう。

 

ただ、そうした力が、沖縄でない場所に住んでいる人が、

沖縄の基地問題を語ることの妨げになるのは、好ましくないと思います。

 

囲碁からきた、「傍目八目」という言葉をご存じのことと思います。

対戦している当事者でなく、観戦している人の方がかえって、

盤上の状況をうまく読み取ることができるという言葉です。

 

沖縄に住んでいない人の方が、現実的な問題の決着点を

見出しやすいというのはありうると思います。

 

これと、同じことが、沖縄の基地問題や、それ以外のあらゆる問題に

当てはまることがあると思います。

 

また、スケールの大きな問題ほど、「当事者でない人」に関心を

持ってもらうことが、解決の道を探ることには欠かせなくなります。

 

私は、「当事者でないから」「直接関係ないから」「体験したことがないから」と

いった理由で、世間で話題になっている問題に興味を失ったり、

発言することをやめるというのは、社会全体の損失に等しいと考えています。

 

当事者でないことの軽さが、強みになることがあるはずです。

 

『ジャム・ザ・ワールド』についての記事 ↓

virtualinsanity.hatenablog.com

 

書いている人 ↓

自己紹介がわりに25の質問 - Virtual Insanity ~バーチャル・インサニティー~