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Virtual Insanity ~バーチャル・インサニティー~

生活、時事問題、趣味のことなど幅広く、日々思うことを綴っていきたいと思います。多分、中道左派です。

<チャラリー 鼻から…> クラシックの器楽曲に歌詞をあてることの罪

音楽

今回のテーマはクラシックの器楽曲に歌詞をあてることの功罪、いや、罪についてです。

 

私が中学生だった頃に、学校行事のひとつとして、キャンプファイヤーというものを体験しました。21世紀の今の日本でもまだ見られるのでしょうか。

かいつまんで、説明いたしますと、宿泊をともなう学校行事の夜に、大きなたき火を、生徒たちがぐるりと取り囲んで、役を割り当てられた人物が「私は火の神です」うんぬんというセリフを言って、神秘的な気分を味わおうという試みのことです。

この時、「遠き山に日は落ちて」という歌を歌いました。歌わさせられました。とてもいい曲だと思いました。

その時は、それでよかったのです。

 

ただ、後から、残念な気持ちになりました。

高校生の時に、ドボルザーク作曲の交響曲第9番新世界より」という曲と出会いました。ご存じの方も多いと思います。とても素晴らしい曲です。

とくに何と言っても第2楽章のオーボエの独奏が聞きどころではないでしょうか。

そうです、そのオーボエ独奏のメロディーに日本語の歌詞をあてたものが、キャンプファイヤーで歌った「遠き山に日は落ちて」なのです。

このオーボエ独奏のメロディーはたいへん美しいのですが、高校生の時に聞いてい以来ずっと、このパートにさしかかると、どうしても「遠き山に…」の歌詞が自動的に脳内プレイされてしまうのです。何度も何度もこれをやめたいと思い続けて20余年なのですが、一向に断ち切ることはできません。

もっと、純粋にドボルザークの音楽に浸りたいのに…。

どうしても「遠き山に…」の歌詞とキャンプファイヤーの様子が紐づけられてしまうのです。

 

結局、何を言いたいのかと申しますと、クラシックの器楽曲に日本語の歌詞をあてて、はやらせるのは、自粛してほしいということです。

 

原曲のもつ、本来の魅力を、決定的に損なってしまいます。

歌詞をつけようというあなた、あなたは無形文化財棄損の加害者となることでしょう。

 

どうかお願いします。

 

タイトルの「チャラリー 鼻から…」については、わかる方はわかると思います。わからない方はしあわせです。検索しないことをおすすめします。