夏目漱石『こころ』の感想

年末年始は夏目漱石の『こころ』を読んでいました。

あまりにも有名なこの作品には、傑作である、あるいは駄作であるなど、様々な評価がなされています。

一昨日(1月3日)の夜、読み終えました。

一昨日の夕方の時点で半分ぐらいしか読み進めていなかったのですが、「先生」の恋敵となる「K」が登場してから、一挙に読書熱が沸騰し、その晩のうちに読み終えてしまいました。

 

この作品を読んだのは、高校生時代、大学生時代、このたびの年末年始で3回目です。正直言って、高校生時代、大学生時代にはピンときませんでした。しかし、今回の読書体験は先の2回とはまったく異なる鮮烈なものとなりました。

おこがましいことを承知で言えば、先生、K、奥さん、お嬢さんの言動から心の動きを手に取るように読み取ることができるのです。年の功とでも言いましょうか。

読み終えてから、しばらく経って、考えるのですが、Kの自殺というのは、ただお嬢さんへの思いが遂げられなかったからという単純なものではなさそうです。

今さらこのようなことに気付くのは少し恥ずかしいのですが、そこには、心を許した友人・先生に裏切られたという思いや、K自身が追求していた「道」を歩むことへの挫折、自身の未来への悲観、そして、どうも、今で言うところの精神疾患が関係しているのではと私は読みました。

 

また、この作品を語る上で頻繁にキーワードととして登場する「イゴイスト(egoist)」というところにも、深く思いを馳せました。もちろん、お嬢さんを手に入れるため、Kを裏切り、こそこそと策を弄した先生は「イゴイスト」だと思います。そして、そうした態度が、かつて両親を亡くした後の若き日の先生を騙した叔父と同じだということを悟り、先生は愕然とします。

しかし、そうした態度は先生、先生の叔父に限らず、先生を下宿させた奥さん、また、「なぜか」一時、Kと接近したお嬢さん、そして「道」をひたすら追い求めるために養家を欺いたKにも見られた態度だと思います。

 

先生は人一倍「イゴイスト」であることに敏感であったため、人間を囲う暗い世界に捕獲され、そこから脱出することができなかったように感じました。

 

まだまだ考えたことは山ほどあるのですが、私ごときの浅い読みを披露するのも気恥ずかしいのでこのくらいにしたいと思います。

 

最後に、僭越ながら、この作品の評価を申し上げます。

「大変面白い小説です。『人間の欲』『人間のこころの闇』と対峙した、この先もずっと読み継がれる作品だと思います」