Virtual Insanity ~バーチャル・インサニティー~

生活、時事問題、趣味のことなど幅広く、日々思うことを綴っていきたいと思います。

お金を生みだせない人間は生きている価値がないのか その2

今日はとても気分が落ち込んでいます。

ですから「お金を生みだせない人間は生きている価値がありませんね」と囁かれたら、「そうですね」と言って、高い高いビルの屋上から飛び降りそうな感じです。

 

ですが、理性の力とやらで踏ん張って、この問題に少しばかり取り組んでみたいと思います。

 

まず、私の現代社会についての私の認識を明らかにしておきましょう。それは私を含め皆々様、好むと好まざるとに関わらず「拝金教」のご信者であらせられることでございます。狂信的といっても過言ではないと思います。

とにかく「カネ、カネ、カネ、カネさえあれば~」

カネが無いなら無いで「もう生きていけないよ~」

社会保障費がかさんで、やってけないから、カネのかかるだけの障害者や病人や年寄りは、生きるのやめろ~」

「政府にカネが無いのに生活保護なんか怪しからん」といった、こんな感じなのだと思います。

 

そもそも人間の「価値」や「いてもいいか悪いか」とやらを「お金を生みだすか否か」で判定すること自体がかなり奇妙なことだと思います。

人間は人間なんです。お金製造機じゃないんです。

お金はお金なんです。あるところにはありますし、ないところにはないですし、そこそこあるところには、まあ、そこそこあるといった類のものであります。

 

まあ、確かに今のご時世、健常者の方々の一部には、働けども働けども、貧しかりけり嗚呼、という状況はそこいらじゅうに見られる光景なのでありましょう。そんな人たちからすると、年金生活をしている障害者やお年寄りのことが憎たらしく思えるのも無理はないでしょう。

 

障害者差別解消法なる法律が施行され、障害者差別の解消のために「合理的配慮をせよ」といわれても「働けども働けども…」という健常者の方々にしてみれば、「障害者なんか、手がかかるだけで、いないほうがいいんじゃないか」という相模原事件の植松容疑者ばりの優生思想を振りかざしたくなるのもご無理はありますまい。

 

しかし、私は、こう考えるのです。

その人が健常者なのは努力の賜物ではありません。たまたまです。

その人が健常者でカネを生み出せるのは宇宙の神秘であり、奇蹟です。

その人が障害者なり病人なり年寄りでカネを生み出せないのは不摂生の賜物ではありません。たまたまです。

これもやはり、宇宙の神秘であり、奇蹟です。本人はありがたくないかもしれませんが。

人生、たまたまに左右されるのが本当のところだと思うのです。

努力できるか否かも、そうした環境に恵まれるかという点を追究すると、血のにじむような努力をしている人は、「バカな」と思われると思うのですが、突き詰めるとやはり「たまたま」ということになると私は考えております。

 

たまたまAさんが障害者で、たまたまBさんが健常者、世の中、そんなもんです。

じゃあ、拝金主義なり、優生思想にのっとって、経済活動上、重荷になる障害者を殺害しますか????

 

障害者がいなくなれば、多少、国家の財政収支も改善することでしょう、拝金主義の皆様。

それで、あなたは、そういう社会、「好き」ですか????

あなたが、たまたま障害者になったり、病人になったり、長生きすれば、年寄りになってカネを生み出せなくなる可能性は結構、ありますよ。

 

いや、そんな脅しめいたことや、ケチなことを言いたいのではありません。

人間として生まれてきたからには、自分はもちろん、隣の人にも幸せでいてほしいではありませんか。

 

カネを生む者が大きな顔をして、そうでない者たちは、ただうつむくだけ。

 

そんな社会、実現してほしいですか????

 

おれは、嫌だなーーーーーー。

 

最後に、少子超高齢社会を生き抜くにあたって、必要な心構えは、「みんなで一緒に、ちょっとばかり、貧乏になろうぜ」ということだと思います。

あなたが金持ちで、その隣には、腹をすかせた子供や障害者や年寄りが死にそうだ、そんな社会、住み心地いいですかね????

みんな、お互いのことを大切にしようではありませんか。

自分が誰かに大切に思われる、あるいは自分が誰かを大切に思うということは、どんなにカネを積んでも手に入れることができない重要なことだと思うのです。

 

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