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Virtual Insanity ~バーチャル・インサニティー~

生活、時事問題、趣味のことなど幅広く、日々思うことを綴っていきたいと思います。多分、中道左派です。

クラシックの演奏会での拍手について思うこと

クラシックの演奏会にいらしたことは、おありでしょうか。

 

私が生まれて初めてクラシックの演奏会に行ったとき、同行した人から、「周りの人が拍手してから拍手するように」と教えてもらいました。

演奏会を体験された方には、どういう意味かわかっていただけると思います。

クラシックの演目、交響曲や協奏曲といったものは、いくつかのパート(楽章)から成り立っており、パートとパートの間では拍手せず、全パート、つまり、全曲が終わってから拍手をするというのが慣例となっています。

ですから、途中のパートが終わった時には「何となく曲が終わったな」と感じても、それはパートが終わったのに過ぎず、全曲が終わっていないので、拍手はしないのです。そういうお約束なのです。

 

今日は、その慣例にとらわれない演奏会があってもいいのではないのかなと感じた経験を書きたいと思います。

 

数年前、ドボルザーク交響曲第9番新世界より』の演奏会に行きました。クラシックの定番中の定番ですね。何回聞いていもいいものです。

この演目は交響曲なので4楽章から成り立っています(5楽章モノなど、例外もあります)。

演奏が始まりました。第1楽章です。曲は静かに始まり、変化を見せ、大いに盛り上がって、第1楽章が幕を下ろします。

最後の音符が力強く鳴り響いた直後、ホールにいた何人かの方が、これまた力強く拍手しました。ほぼ同時に「シッ」という、たしなめるような息も聞かれました。

私は、ここで、にやけてしまいました。

当然、拍手しないのが、慣例なのですが、私は、この第1楽章がとてもよかったと心底思いました。簡単に言えば、拍手したかったのです。その拍手したいという欲求を私は慣例に従って、抑えました。一方、拍手した人たちは、本当に、純粋に感動したのだと思います。「シッ」と息を漏らした人たちよりは、むしろ思わず手を叩いた人たちの気持ちに私は近い位置にいました。

 

そこで、ふと思ったのですが、音楽に対する人間のあり方としては、どちらがより自然なのだろうということです。心揺さぶられた瞬間に、手を叩いてしまう方が、何だか自然で楽しい感じがします。

 

もしかしたら、100年後のクラシックの演奏会は、各々が、感動した瞬間に、自由に手を叩いたり、足を踏み鳴らしたり、口笛を鳴らしたり、叫んだり、なんてことが起きているかもしれません。

 

そんな演奏会があってもいいなと思いました。