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Virtual Insanity ~バーチャル・インサニティー~

生活、時事問題、趣味のことなど幅広く、日々思うことを綴っていきたいと思います。多分、中道左派です。

青木理著『安倍三代』の感想

政治

FM放送局J-WAVE、『JAM THE WORLD』の金曜ナビゲーターを務めておられる、青木理(おさむ)さんの近著です。

安倍首相の母方の祖父・安倍寛(かん)、父・晋太郎、晋三の三代にわたる政治家の系譜をたどるルポルタージュです。

 

面白かったです。

 

感想

 

著者の青木さんは、世襲議員が増えたことによる弊害を訴えたいと述べておられます。その目的は果たされていると思います。多様な意見や感覚を、政治が、汲み取りにくくなるというのが、青木さんの言う世襲議員が増えることの弊害です。そして、そのような危惧は、現実のものとなっていると私は思いました。

 

安倍首相は成蹊学園で長く学びました。その成蹊学園で、かつて専務理事の任にあたった政治学者・宇野重昭氏が本の最後に登場します。宇野氏は、言葉を選びつつ、安保法制、それを成立させた、かつての教え子である安倍首相を批判します。このシーンは、圧巻でした。

 

青木さんも指摘しているのですが、寛、晋太郎、晋三と代が下るごとに、人間的な魅力、取材対象としての魅力が薄れてきます。晋三にいったっては「凡庸」と表現することをはばかりません。

日本の今の政治の劣化の一因には、青木さんが感じているように世襲議員が増えすぎたことが挙げられるでしょう。

 

 

 

さて、本の内容です。

本書は、安倍首相の母方の祖父、安倍寛の物語から幕を開けます。

 

寛(かん)

 

山口県の「裏日本」の素封家の家に生を受けた安倍寛は、ド田舎から東京帝国大学への進学を果たします。政治学を修め、才能とカリスマ性に恵まれた寛は、美しい女性と結ばれ、東京で事業を起こします。やがて一粒種の晋太郎が生まれます。しかし程なく事業は失敗し、妻とは別れ、失意を抱き田舎へと帰ってきます。そこで、持ち前の才能とカリスマ性から、村長になってほしいと村民から懇願され、病身でありながら、村の政治をまわしていくことになります。

時は1937年、寛は国政に打って出ようと、無所属で衆議院選挙に立候補します。そして見事に当選を果たします。寛は、驚くべき人格者であったので、1942年の衆議院選挙でも当選を果たします。「驚くべき人格者であったので」と書いたのは、この選挙が「翼賛選挙」と呼ばれる、政府に反対する候補者を、権力側が、露骨に、そして徹底的に弾圧する選挙だったからです。

非常に困難な選挙戦を制して衆議院議員となった寛ですが、敗戦の翌年、1946年に若くして病気で亡くなります。

 

晋太郎

 

幼くして母親を失った晋太郎は、父の伯母によって育てられます。

東京帝国大学で学んでいた晋太郎は、戦争末期に学徒出陣で、徴兵されてしまいます。特攻を志願せざるを得なくなる晋太郎ですが、1945年8月に戦争が終わり、死を免れることができました。

大学を卒業し、毎日新聞社に就職した晋太郎は、政治家で、後の首相となる岸信介の娘と結婚します。

父・寛の選挙地盤はいったん親戚が引き継ぎますが、その後、官僚出身者が引き継ぎます。ところが、その後継者との確執が生じ、晋太郎は衆議院選への出馬を決意します。後援会が万全な態勢を取れない中、必死の選挙運動の末、当選を果たします。

長男、そして次男・晋三が生まれます。

晋太郎は順調に出世し、1982年、中曽根内閣で外務大臣に就任します。1987年には自民党の幹事長に就任しますが、1991年、病気のため、この世を去ります。

 

晋三

 

母方の祖父である岸信介に可愛がられて育ちます。忙しくて、父からは、あまり相手をしてもらえなかったとのことです。

小学校・中学校・高校・大学の16年を東京にある成蹊学園で過ごします。

日米安保をめぐり、高校の社会科の教師をうろたえさせたというエピソードが有名ですが、その教師にもインタビューしています。もちろん、このエピソードにもふれています。真相は、藪の中ですが。

成蹊時代の晋三について、様々な人物が証言します。とにかく目立たない学生生活を晋三が送ったことは、間違いなさそうです。青木さんは「凡庸」という表現をくどいくらい使って、若かりし頃の晋三を形容します。

晋三は大学卒業後、カリフォルニアに2年間留学します。何を履修したかは、どうやら本人と留学先の言い分が一致しないようです。

留学を終えた晋三は、神戸製鋼に入社します。父の選挙区に工場をもつ同社関係者の票が欲しいという思惑があったようです。1年目は華のニューヨーク勤務、そして2年目は何と兵庫県加古川市の工場勤務を経験します。正直言って、驚きました。3年目は東京勤務となります。東京勤務時代の上司だった人物がインタビューに応じ、晋三の人物像を述べるのですが、物怖じしない方のようで、読み応えがありました。晋三は、東京勤務の時に、父・晋太郎が外務大臣に就任し、秘書官になるよう父に命じられます。その時、この上司が「会社をやめるよう」晋三を説得したそうです。なかなか奇特な話だと思いました。この転身がきっかけになり、晋三は政界入りを果たします。後は、ウィキペディアが詳しいでしょう。

 

 

 

最後に、安倍寛が、1937年の衆議院選挙に立候補した時に作成した「立候補の御挨拶」の一部を長々と引用したいと思います。なぜか? ぞくっとするからです。

 

<…現在の政治は決して良い政治と云ふ事は出来ないのであります。一度び目を世相に転じる時は、年と共に貧富の差が甚だしくなつて行くために、立派な頭脳と健康な体力を持ちながら、働くにも職のない多数の失業者が居ります。 働いても働いても生活の安定を得ざる労働者が充満して居ります。更に借金と公課に喘ぐ農村…薄給に泣く棒給生活者…大資本に圧迫されてまさに没落せむとする中小商工業者等々…世相は陰惨を極めて居る状態であります。凡そ世の中に何がみじめと云つて食へないと云ふ程悲惨事はない、即ち非常時は是を遠方に求めなくとも斯くの如く吾々の足元にうようよして居るのであります>

 

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