蒸し風呂守衛室 前編

 鶴亀商店は、この地域では少し名の通った、建材卸の商社だった。商社といっても、三菱やら三井やらといった華やかなものではなく、地元密着型の、色あせた白い軽トラックやハイエースが出入りするようなところだった。そこに勤めているのは、スーツの似合う丸の内のサラリーパーソンや、ブランド物のバッグを下げたOLとは、対極にあるような、煙草臭いおっちゃんたちと、近所の噂話に余念のない、どこにでもいるおばちゃんたちだった。

 

 九州の大きな町にある機械メーカーの営業マンだった僕は、ちょうど10年前の夏に、突然会社に行けなくなってしまった。精神疾患の発症だった。営業マンの業務は、たしかに過酷だった。でも、当時は過酷だとは思わず、それが当たり前だと思っていた。福利厚生のしっかりしていた会社だったので、精神疾患だからといって、解雇されることはなく、休職制度を利用した。ところが、病は強敵で、約2年の、与えられた休職期間を使い切ってしまった。そして大変残念なことに、その機械メーカーを退職することになった。

 

 退職した直後の記憶はほとんどない。ただ、苦しかった。世界から消えたかった。それだけを覚えている。

 九州北部の、実家のある町に肩を落として僕は帰った。その町で、自分自身を、そして、この世の中に存在している全ての他人を、しばしば憎み、治療に専念した。治療の甲斐あって、主治医から、就労可能の判断をもらった日、空が青いことに深く感謝した。

 

 精神障害者手帳を取得した僕は、障害者枠での就職活動を開始した。

 孤軍奮闘する必要はなく、この町には、障害者の就労を支援する団体があり、そこのお世話になった。広沢という、自分よりも5つぐらい年上の男性職員が親身になって支援してくれた。そのおかげで、僕は、鶴亀商店の守衛室に職を得た。広沢は、ネクタイを締めてはいるけど、ネクタイが似合わない、ざっくばらんな人だった。守衛室での補助業務という地味な職種ではあったけれども、鶴亀商店は、この辺では知られた会社だったので、就職が決まった時は、正直、とてもうれしい気持ちになった。

 郵便物などの受け渡しをしたり、来客記録をとったり、届いた荷物を台車に載せて、結構広い鶴亀商店の構内に荷物を運搬する仕事だった。主治医から許可された労働時間は、1日当たり4時間だった。その短時間勤務からもたらされる収入と、障害年金、機械メーカーに勤めていた頃に蓄えていた貯金が、僕の生活を支えていた。

  僕が勤める時間帯の鶴亀商店の守衛室には、谷というおじいさんがいた。広くない守衛室で、谷と過ごすか、荷物を運んでいるかということになる。

 初出勤の日、ふらりと広沢が来てくれた。広沢は誰とでもすぐに打ち解ける。

「初めまして。谷さん。広沢と申します。島崎さん、とてもまじめな人なんで、いい仕事、してくれると思いますよ。あ、島崎さん、もう、肩に力入っているんじゃないんですか。リラックス、リラックス。あははは」

「どうも、こちらこそ、よろしく」

作業着のファスナーを、胸の真ん中まで下げている谷が、鷹揚に返事をした。

 初出勤で緊張の塊だった僕は、広沢の一言で、気持ちが楽になった。同時に、この谷という年配の社員の人と、少し心が触れ合った気がした。

  それから、3か月が経った、守衛室の業務内容には慣れてきた。はじめは、何度か休んでしまった。だが、ここ1か月、休んでいない。守衛室の業務は、簡単な仕事といえば、簡単な仕事なのだ。それ以上に大きな仕事と言えば、体調管理だろう。勤務予定表通りに出勤する。そのことの大切さを、機械メーカーで休職している間、噛みしめていた。とにかく予定された時間を勤めあげる。それと同時に、決して無理はしない。そうしたことを第一に、僕は生活のすべてを組み立てていった。そして、さいわい、それが奏功していた。

  時が経つにつれ、谷の人となりについても、だんだん見当がついてきた。猫背で小柄な谷は、70を過ぎていると思われた。75といってもおかしくなさそうだった。そして、おやと思うところがあった。来客に対して、谷は常識的なマナーをもって接するのだが、従業員に対しては、傲慢とも思われるところがあった。具体的に言うと、谷は、同僚たちに、挨拶しないのだ。

 バタン、と守衛室の扉が開く。従業員が守衛室に宅配業者に出す荷物を持ってきて、谷のせまい机の上に、どすんと載せる。荷物が大きい時は、ばんと床に置いていく。無言で立ち去る。そんな時でも、僕は、以前の勤め先で叩き込まれたように、甲高い声で「おつかれまでーす」と、やってきた人物に挨拶するのだが、入ってきた従業員も谷も無言なのだ。そこには、緊張感が漂っているといってもよかった。僕も谷のように無言でいたほうがよいのかもしれないと察したが、それでは、せまい守衛室の空気が、もっと張り詰めたものになってしまう。返事のない「おつかれさまでーす」を僕は繰り返すのだった。そして、谷も同僚たちも相変わらず無言だった。

 やがて梅雨の季節が訪れた。九州の梅雨は、とにかく蒸し暑い。4時間の勤務が大変長く感じられる。

  そうしたある日、出勤前にネットで天気予報を調べると、今日の予想最高気温は、今年初の真夏日を記録するようだった。予想最高気温34度。

 「おはようございます」

守衛室に僕は入った。

 暑い!

 蒸し暑い!

 守衛室は窓が開けられているものの、まるで蒸し風呂のようだった。

「暑いですね」

と谷に話しかけた。

「暑い。どうしようもない」

谷が無口で、ぶっきらぼうな人物だということはわかっていた。

 そして、今日も淡々と業務をこなした。それにしても暑い。

 床に置かれた小型扇風機で、その日の熱気をしのぐ。荷物を運ぶのも大変だったが、サウナのような守衛室でじっとしている方が難儀な一日だった。

 翌週の出勤前に、いつものようにネットで天気予報を調べると、予想最高気温は37度となっていた。近年増加している猛暑日が、もうやってくるのだ。